New York U.S.A 留学のススメ 梅垣
留学のススメ
Noriko Umegaki-Arao, M.D., Ph.D.
Laboratory of Dr. Angela M Christiano, Ph.D.
Department of Dermatology
Columbia University in the City of New York
New YorkのAngelaラボでの留学もあと2週間になりました。アメリカでの学会の折にNew Yorkまで足をお運び下さった片山先生、室田先生、田中文先生、山賀先生、そして今はワシントンNIHで活躍中の壽先生、ありがとうございました。懐かしい皆様とパブでビール(個人的にはブルックリンラガーがお気に入りなのですが)を飲むというのは、暑い真夏の大阪で飲むビールより一層美味しく思いました。この2年と少し、自分は何をやっていたんだろうと思い返していますが、一言でまとめると、引っ越しばかりしていました。NYに来て早々数ヶ月で家が火事で燃えて住めなくなり、慌てて引っ越し。やっと落ち着いたかなと思ったら、こちらで知り合った日本人の男性と電撃的に結婚することになり(自分でも衝撃的でした)、また急いでバタバタと引っ越し。都会なNYのミッドタウンに慣れてようやく眠れるようになってきたと思ったら、そろそろ帰国。とまあ、色々とありました。肝心の仕事は、ボチボチでした。2014年はこれまでの仕事をベースに、同僚と共同でグラントも1つ取ることができましたし、2014年のSID(アルバカーキ)のoral presentationの発表の後で、ボスのAngelaから”I am proud of you.”と言って頂いたのが、留学生活で一番嬉しかった出来事です。
せっかく留学までさせていただいたので、何かためになるような事を書きたいと思ってずっと考えていたのですが、1つだけ言えるとすると、もっとたくさんの先生方に留学を経験して欲しいと思っていることです。できれば、もっと多くの女性に留学を経験して欲しいと思います。ご家族で留学を経験される場合も多いと思いますが、できれば自分で職を見つけて現地で働いてみて欲しいです。アメリカでは日本と違って、物事がうまくいかないことの方が多く、日本ってなんと素晴らしい国かと改めて思います。しかもアメリカはトラブルがあればあるほど、さらにうまくいかない事が増えるという非常にストレスフルな社会で、毎日頭に来ることばかりなので、自分はこんなに怒りっぽかったっけ?と自問してしまいます。NYを走る地下鉄も各駅停車のはずの電車がアナウンス1つで突然急行に早変わりして、自分の降りたい駅を素通りされ、どこか知らないところで降りる羽目になります。みんなブーブー言うのですが、ま、しょうがないか、とすぐに諦めています。きっとこれがアメリカ(NYだけかもしれませんが)の生活を象徴しているように思います。もうこんなのはゴメンだと思う数々のトラブルを考慮しても、帰国前の自分は予想外にアメリカが好きになっています。今、私はAngelaという非常に優秀でガッツのある女性のボスの下で働いています。ここのラボの女性達はそれぞれがとても優秀なのですが、みんなのびのびと働きつつキャリアを伸ばて、家庭と両立しているのがとても印象的です。なんでみんなこんなに楽しそうに働いて、家庭の生活も楽しんでいるんだろうと、いつも不思議に思っていました。こちらでは、子供にかかる様々な費用は日本よりはるかに高く、住宅費は非常に高く、子供ができると部屋の数も増やさないといけない法律などもあって、日本のように6畳に家族全員で生活するというわけにはいかない仕組みになっているにもかかわらず、街を歩けばたくさんの子供がいて、妊婦さんもたくさん歩いています。産前はギリギリまで働き(私の女性の同僚達は予定日の1-2週間前くらいまで働いています)、出産後は3ヶ月もしないうちにすぐに復帰しています。ベビーシッターやデイケアもとても高く、自分の給料がすべて吹っ飛ぶくらいの値段なのですが、それでも気合で職場復帰するこちらの女性たちには頭が下がります。
アメリカに来てからも英語が思ったほど上達しないのにひどくがっかりし、日本語の本は読まない様にしようと思っていたのですが、昨年映画化された「永遠の0」を読んでからは日本人魂で頑張らねばと気合が入り、スタジオジブリの「風立ちぬ」を日本に帰ってからの楽しみにしています。今は柳田国男の「零戦燃ゆ」を読んでいます。面白いのは、太平洋戦争で大活躍した日米の戦闘機の開発製造一つとっても、日本とアメリカのフィロソフィーの違いがあって、今の社会の成り立ちにもそのまま反映されている、という観点です。零戦は高性能なうえ、日本人パイロットも優秀で開戦当時は向かうところ敵なしの大活躍だったところから話が始まります。零戦を超える機体を作らないといけないというところから、零戦を開発した堀越二郎の苦悩が始まり、後に日本本土を攻撃するB29などを開発したアメリカのグラマン社の試行錯誤が始まります。日本にはパワーのあるエンジンがなかったため、零戦は機体を軽くし、戦闘機やパイロットを守る防弾のシステムを極力少なくして、高性能の運動能力で優位に立つ攻撃重視の戦闘機だったそうですが、アメリカは、ならば大きなパワーのエンジンを開発して、防御のシステムをしっかり備えてずしりと重くなっても速く飛べる飛行機を開発しようとしていました。戦闘機の性能に何を優先するかという項目に、パイロットと機体の安全を優位に持ってこれる、アメリカ国力の底力とフィロソフィーを感じます。そこから何でもどんどん大きくなりすぎてしまうところは、またアメリカだな、と思うのですが。アメリカで生活してみて日本を考えると、日本は小さな島国で資源もなく人口も減ってきていて、アメリカとの違いを感じずにはいられませんが、日本人は素晴らしい質の仕事をし、素晴らしい生活を送れるシステムを作っています。医療のレベルも日本の水準の高さに誇りを持ちました。もし今の日本がアメリカに学ぶ事があるとすれば、何かを成し遂げるための目的の中に人が埋没してしまわないように、人を大事にするという観点なのではないかと思います。ここアメリカ(NY)では誰もが(ホームレスですら)不思議とプライドを持ってイキイキ生きているように見えます。こういうフィロソフィーを感じることができたのは、とても素晴らしい経験でした。
自分が日本に戻って何が変わるのか、何を思って何をするのか、今からとても楽しみです。素晴らしい機会を与えてくださった皆様に心から御礼を申し上げます。ありがとうございました
Acknowledgments
2014.6.20 Update
San Francisco U.S.A 留学日記2 花房
留学第二弾
Takaaki Hanafusa, M.D., Ph.D.
Postdoctoral Fellow
Laboratory of Dr. Mark S Anderson
Diabetes Center, University of California, San Francisco.
今春にアメリカでの生活を始めてから8ヶ月が過ぎました。渡米当初は日本では考えられないようなトラブルが続き、旅行で行くのと暮らすのは全く違うということを実感しましたが、家族・日本人医師の友人・ラボの同僚・ボスに支えられて何とか生き長らえています。体感としてはアメリカでの8ヶ月が日本での2,3年に感じられるほど、日本では経験できない貴重な経験をしています。
ここ最近は大味なハンバーガーパルスのせいで味覚は落ちる一方で、たまに行く外食でも日本食レストランばかり探してしまい、先日は日本からの友人が持ってきてくれた羊羹に感動しました。英語も渡米前に夢見ていた程にはなかなか上達しませんが、遠慮せずに何度も聞き返したり、メチャクチャな英語をドヤ顔で話す度胸だけはつきました。アメリカは10月末にHalloween、先月末にThanksgiving holidayが終わったところで、今月に入り街はChristmasムードで一色です。早速、我が家も近所でツリー用の「ナマ」モミの木を購入し、家で飾り付けをしました(写真1)。
ラボでの研究も生活と同様、なかなか日本のようにスムーズにはいかず、研究成果が出る自信は無いですが、免疫寛容に関わる細胞の解析を主に行っていて、日々新しいことを学ばせて頂いております。
異国で暮らしてみると改めて日本の良さを実感しますが、アメリカの良いところをしっかり感じ取って、日本へ持ち帰ろうと思います。
(写真1)アメリカでは毎年新しいモミの木をツリー用に買い、シーズンが終わったらリサイクルに出すようです。
2013年12月3日
花房崇明
NIH U.S.A ぶき太留学3報 壽
留学先:National Institutes of Health(NIH).
Kotobuki Yorihisa, M.D., Ph.D.
壽 順久
2013年10月30日
ぶき太の留学 第3話
皆さん、こんにちは。気付けば僕がアメリカに来てもう半年が経過していました。英語力もさぞかし向上しているかと思えば、全くさっぱりです。漫然と生活しているだけでは英語力の向上は難しいと感じるこの頃です。
衝撃の Government Shutdown もついに終わり、NIHも通常業務が再開されました。この2週間強、ほとんどのポスドクが自宅待機している中、Approveされて土日も休まず仕事する羽目?になり大変な幸せ者のぶき太です。おかげで久しぶりにいい結果を出すことができました。さて今回は、この僕が所属するKandice Tanner Lab.をご紹介したいと思います。
僕が所属している、Kandice Lab.は1年前に立ち上がった非常に新しいラボです。Kandiceは下の名前で、普段呼ぶときは、”Hi, Kandice!” 、メールを送るときは” Dear Kandice,”もしくは”Hi, Kandice”となります。文化の違いでしょうが、未だに違和感を感じます。だって日本に置き換えたら、ボスに「おっす、イチロー。」と声をかけ、メールで「大好きなイチローへ。」と書くようなものです。怖いですね?、恐ろしいですね?。
話はそれましたが、この新しいラボで、最初にもらったものが、机と実験机、そして新しいiMacです。新しいマックに広い机と実験机をもらい、さらにマイベンチをもらって、第一印象は「すげえ!」だったんですが、すぐに壁に打ち当たりました。こちらに来て、さあ実験しよう、という段階になって気づいたのが、何も無いんです・・・物が。新しく立ち上げたラボなので特になんですが、机とPC以外のものが何も無い状態から始まりました。まず、ピペットマンを買い、PBSを買い、ウエスタン用の泳動層、転写装置を隣のラボにお願いしてもらい、フィルムを買い、などなど。最初の2ヶ月仕事で一番苦労したのが、この物を揃える作業でした。何が足りないのか、どう注文するのか全てが手探り状態でした。同時に実験手技の違いにも大変苦労しました。
ラボメートですが、4月に来たとき、ラボには僕とボス、あとテクニシャンの女性(5月に退職)だけでした。つまり僕はボスにとってファーストポスドクになります。僕で良かったのか?なんか申し訳ない・・・。5月にセカンドポスドクでBenがやってきて、6月にプレドクでAnyaがやってきて、総勢4人の小さなラボが動き始めました。
Kandiceは若干32歳でNIHのPI (Principal Investigator)になった才女です。しかもいわゆるBiologistではなくPhysicistです。考え方が全然違うので、非常に勉強になります。若手の新鋭であり、大変きついかもと最初はおびえていたんですが、非常にフランクでやりやすいボスです。アメリカに来てしばらく経った頃に「スラングを覚えたい。」と相談したときの答えが、「Happy Hour に行け!」と「Strip Clubに行って文化を学んでこい。」でした。(注;Strip clubは残念ながらまだ行けてません。)でも彼女の会話自体に非常にSlungが多くて、どっかに行かなくてもなんか普通に覚えられそうな気がします。
Benは5月にやってきたセカンドポスドクでアメリカ人です。ボスと同じくPhysicistです。とてもいい奴で、ラボのムードメーカー的な存在です。ラボのイベントは大体彼が企画しています。先日はラボのみんなでアイスホッケーの試合を見に行ってきました。彼は僕の通訳も担当してくれています。例えばボスが言ってることが分からないときに、Benに” Ben, translate please.”というと、何となくわかりやすい単語に変換して教えてくれています。本当にありがたい存在です。僕にとってアメリカでのbest friendでしょう。
Anyaは、UCSFを飛び級で卒業して、現在ポスバクとして来ているビューティフルな女の子です。賢い上に、仕事も非常に良くでき、美人さんで性格もいいときてるもんだから困ったもんです。仕事が早く終わったときなんかは、ボスの言いつけ通りBen, Anya, 僕の3人で時々Happy Hourに繰り出しています。
ボスの格言が、”Work hard, play hard !” 。週約70時間の実験と月2回ほどのHappy Hour(Happy Hourで終わりませんが)、格言はまずまずクリアしてる感じでしょうか。まだ動き始めたばかりの非常に小さいラボですが、みんな非常に仲がよく、充実したNIH lifeが送れていると思います。さて今週末はラボメートとHalloween Partyです。実験頑張ろうっと。
第一弾→ぶき太の留学 第1話~ぶき太がアメリカにやってきた~
第二弾→ぶきたの留学 第2話~ここはNIH~
2013.7.1 Update
NIH U.S.A ぶき太留学2報 壽
留学先:National Institutes of Health(NIH).
Kotobuki Yorihisa, M.D., Ph.D.
壽 順久
2013年6月29日
ぶき太の留学 第2話~ここはNIH~
皆さんこんにちは、ぶき太です。
今日は、僕が所属しているNIHについて、ご紹介したいと思います。いったいどんなところかというと、簡単に言えば厚生省と医科研や理科研などの研究機関がくっついたところ、みたいな感じでしょうか。僕の所属するNCIは癌研に当たるのかな。NIHは、メリーランド州のベセスダと言う町にあります(正確には他にも分署がいくつか点在しています)。こぢんまりとした町ですが、ちょっとした高級住宅地で、DCと違い治安も良いです。僕の住んでいるロックビルはベセスダの北隣にあるんですが、僕の住んでいるあたりはなぜかノースベセスダと勝手に名乗っており(ベセスダとつくと高級感がでて人気が上がるかららしいです)、しかもそれが普通に住所として通ります。関西で言えば、西宮の上の方が、勝手に北芦屋と名乗るようなもんです。不動産屋の策略が見えますねえ。
NIHは1887年にその基盤が創設され、現在75以上の建物と3万人以上の人が働いています。日本人はその約1%の300人ほどがいるそうです。留学生は1位中国、2位インド、3位、4位が韓国、フランスで、確か日本は5位だったと思います。少しずつ減っているそうで、やっぱり危機感を感じます。とにかく広くて自然が多いです。NIHに来て一番感動したのが、自然の多さでした。
Canadian goose. 初めて出会った動物です。春にはヒナが見られ、非常にかわいいです。渡り鳥ですが、なぜかNIHに居座ってます。
至る所で野生動物を見ることができます。僕がNIHで最初にであったのがガチョウ(雁の仲間?)でした。その後、リス、ウサギ、野鳥、シカと出会い、最近ではホタルを見ることができます。まだ出会ってませんが、アライグマもいるそうです。(アライグマは阪大にもいますね、そういえば。。。)
リス。あちらこちらにいて珍しくも何ともないですが、やっぱりかわいいですね。
NIHは非常に大きいのですが、その移動手段は基本的に徒歩です(シャトルバスもありますが、時間が不定期でなかなか乗れません)。僕のいるビル37は玄関口のちょうど反対側になるので毎日15分から20分かけて歩いています。阪大に換算して話すと、毎日モノレールの駅から歯学部病院まで歩く感じです。おそらくこれが僕のダイエットに一役買ってくれています。途中で、レンガ造りの非常に大きな建物が見えます。これはNIHの中枢、ビル10です。簡単に言うとNIH病院ですが、普通の病院ではありません。基本研究しか行っていません。治療は全て公費でまかなわれますが、治験のみで一般患者はいないという恐ろしいところです。とても日本のシステムでは作れないし、臨床研究では敵わないとしみじみ感じました。現在、日本から来ている僕以外の皮膚科の先生は皆さんここで働いています。ビル10には大きな食堂の他、地下には銀行(NIH original)、お土産ストア、本屋、実験器材のショップがあり、必要物品などはここで購入する形になります。実験器材はボスのカードが無いと購入できないので、いつもカードをお借りして買い出しに行きますが、気を使います。
ウサギの赤ちゃん。やっぱり春になると新しい命が増えるようです。
シカ。これも親子です。比較的レアキャラです。
赤い鳥カーディナル。あのカージナルスのマスコットでもあります。
僕のいるビル37は、NCIの中枢ビルになります。響きはかっこいいですが、もう結構ボロいです。食堂やカフェも無いので、弁当持参か隣のビル35に食べに行く感じです。NIHはキャンパス内全面禁煙なんですが、ビル37はNIHの西端にあるので、すぐに外に出れてそこがスモーカーの溜り場になっています。個人的にはそれが一番のメリットですかね。机は一人一脚与えられます。実験机も併設ですが、かなり広いスペースを頂きました。すばらしいな!と思っていたら、こちらはウエスタンやPCRなど全て器材も個人持ちで、自分の机で全部実験をするようで、ウエスタンする場所とかPCRスペースといった共用スペースはほとんどありません。このシステムに最初というか今でも苦労しているんですが、このお話は次のラボ紹介にまわしたいと思います。ちなみに僕の今座っている机は、むかし東京医科歯科大学の並木先生が使っていた机だそうです。机のあちこちに取れないシミがあります。
僕の机と実験台。N木先生のにおいが染み付いています。
まだNIHのシステムに完全になじんでおらず、色々と苦労していますが、少しずつなじんで結果を残して行こうと思います。
次回は、ラボ紹介をしたいと思いまーす。またねー、バイバーイ!
第一弾→ぶき太の留学 第1話~ぶき太がアメリカにやってきた~
2013.7.1 Update
NIH U.S.A ぶき太留学1報 壽
留学先:National Institutes of Health(NIH).
Kotobuki Yorihisa, M.D., Ph.D.
壽 順久
2013年6月29日
ぶき太の留学 第1話~ぶき太がアメリカにやってきた~
皆様お疲れさまです。
2013年4月1日より、アメリカはメリーランドにあるNational Institutes of Health (通称NIH)に留学しています。その中でも僕が所属するのは、National Cancer Institute(通称NCI)のLaboratory of Cell Biology(通称LCB)のTissue Morphodynamics Unit (Chief; Kandice Tanner)という所になります。なんだかややこしいですが、日本に置き換えると、
大阪大学=NIH
医学部 =NCI
皮膚科 =LCB
といった感じでしょうか。こう考えると分かりやすいですかね。
さてぶき太の留学、第1弾として何を書こうかと考えましたが、僕がこちらに来た最初の1週間についてお話しようと思います。
日本を3月31日に飛び立ち、3月31日朝にワシントンDC (Dalles)に到着。いろいろな渡米方法がありますが、日本からはANAの直行便が出ており、一番早く快適だと思います。空港に着いた僕は、DCの北西、車で約20分ほどの場所にあるRockville cityに向かわなければなりません。先のInterviewのときに知り合ったタクの運ちゃんJAVIDに電話して迎えにきてもらい、RockvilleにあるHoliday Inn Exp Hotelに向かいました。用意周到な方たちは事前に住まいを決め、車を買い、家具を貰い受け、携帯契約し、クレジットカードを手に入れているんですが、そこは僕。何にも決めていません。ホテルを5日間予約して、とりあえず家探ししようと言うところから始めました。
初日夕方に日本人留学生などの住まいの斡旋をしているという笠松さんに電話し、翌日合流。この笠松さん、アメリカ在住40年以上の方ですが、アメリカ人よりもアメリカナイズされた方で、かなりの強者です。僕は4人の子持ちなのでアメリカルールで、タウンハウスと呼ばれる長屋造りの一軒家じゃないと駄目だったのですが、もう無理矢理2ベッドルーム、2バスのアパートを借りることになりました。(アメリカルール;基本子供1人につき1部屋もしくは男女別別の部屋を与えないと虐待扱いされる)部屋を決めて借りるまでに3時間、そしてその足で中古家具屋に赴き、ベッド、ソファ、食卓、ナイトテーブル、ランプを購入。これも笠松パワーで考える暇無く決まりました。さらに、翌4月2日にはJAS (Japan Auto Service)という日本人がやっている中古車ショップに行き、その場で車を購入。本来優柔不断な僕が、人生で一番即決した2日間でした。残り2日間をホテルで暮らし、4月4日からアパートに引っ越しました。このとき同時に5人の日本人ポスドクと一緒に入居し、非常に仲良くなりました。その翌日には再び笠松さんに5人の仲間と一緒にPepcoという電気管理会社に向かい電気を開通してもらい、Verizonというところで、TV、WiFi、Home phoneの契約をしました。アメリカではTVは普通に見れず管理会社と契約しなくてはなりません。一番安いプランを選択しましたが、(日本の番組を入れたせいもあり)それでも月130ドルかかってしまいました。
NIHの桜。思っていた以上に桜の木が多くて奇麗です
さてさて家のセットアップのお話ばかりですが、もちろん僕は留学生ですので、きちんと4月1日にNIHに向かいました。NIHは管理が厳重で普通に中に入れません。NIHバッジをゲットして初めて中に入れるようになります。それまではVisitor Centerに行き、手荷物検査を受けて、パスポートを見せて、簡易面接を受けVisitor badgeをもらって初めて中に入れます。NIHバッジを手に入れるまではこの行程を受けてしか中に入れないです。NIHに入り、新人雇用者が最初に訪れるDISという部署に行き、いろいろレクチャーを受け、講習の予約を入れ、仮バッジ(NIHバッジは最初に仮のバッジをもらい、本バッジはSSN(Social Security Number)をもらってからじゃないと発行されない、結局もらうまでに1ヶ月以上かかりました)の手続きをし、初日は終わりました。翌日からは、ひたすら安全講習を受ける日々でした。血液の取り扱い、ゴミの取り扱い、動物の取り扱い、などなど全て英語でチンプンカンプン。それでもこれら全てを受けないと実験させてもらえません。結局実験を始めることが出来たのは4月11日でした。
ぶき太の留学第1弾、来て最初の1週間をまとまりなく書きましたが、いかがでしょうか。英語が全くしゃべれない僕としては、ドタバタしながらもまずまず順調な滑り出しの気もしますが、まあそれなりに苦労しました。英語がしゃべれないことよりも、こちらのシステムを知らないことの苦労の方が大きいですね。色々損することが多いですが、カルチャーショックを受けつつも楽しむことが大事だと思います。
さーて次回のぶき太さんはー、
1NIHのご紹介
2Kandice Labのご紹介
3アメリカ生活初期(2ヶ月)
の3本です。。。。はきついので、NIHをご紹介したいと思います。
じゃん!けん!グー!
うふふふふ。
2013.6.9 Update
San Francisco U.S.A 留学日記 花房
留学先:
Takaaki Hanafusa, M.D., Ph.D.
Diabetes Center, University of California, San Francisco.
2013年4月より日本学術振興会の海外特別研究員としてUniversity of California, San Francisco (UCSF)のDiabetes Centerに留学をしています。留学して1ヶ月が経ち、サンフランシスコでの生活がようやく立ち上がりました。これから本格的に実験を開始する予定です。当研究室では、1型糖尿病だけでなく様々な自己免疫疾患の発症機序を解明するための研究が行われています。研究室のメンバーは皆アメリカ人で、「外国人」は私だけですが、昨春に単身面接に乗り込んだ希望の研究室で念願のポスドクとして働けることに喜びを感じています。
カリフォルニアといいますと、温暖な気候を想像しておりましたが、サンフランシスコは、日差しは強いものの霧が出る日は寒く、寒暖の差にまだ慣れていませんが、市内にはサンフランシスコジャイアンツの本拠地AT&Tパークがあったり、近郊にはカリフォルニアワインで有名なナパがあったり、世界遺産のヨセミテ国立公園があったりと、週末の気分転換には事欠きません。朝には近所のゴールデンゲートパークをジョギング仲間の先生と走ったりしています。
英語はやはり私にとって最大の問題点で、listening、speakingは本当に苦労していますが、毎日が非日常の連続で、貴重な経験をしています。アウェイの地で「英語の話せない怪しいJapanese」としてゼロ(あるいはマイナス?)からのスタートですが、何とかmade by Japaneseの成果を出せるようにこれから奮闘していきます。
霧のゴールデンゲートブリッジ。霧が晴れていれば向こうにサンフランシスコ市内が一望でき、思わず「おおっ」と声が出るほど素晴らしい眺めです。
2013.5.19 Update
New York U.S.A 留学便り 梅垣
留学先:
Noriko Umegaki M.D., Ph.D.
Department of Dermatology
Columbia University in the City of New York
2011年12月より、Columbia University in the City of New Yorkの皮膚科(Angela M Christiano先生のラボ)に留学しております。マンハッタンのハーレムの北側に位置しており、ブロードウェイそばの168stにラボがあります。Columbia Universityのメインキャンパスは116stにありますが、こちらは私のいる168stとはかなり雰囲気が違っており、長い歴史を感じさせる落ち着いた街並みです。168stあたりでは英語とスペイン語が飛び交っており、第二外国語をスペイン語にすれば良かったな・・と思いつつ、人種のるつぼ、と言われるニューヨークを実感しながら生活しています。 Angela M Christiano先生のラボには現在、ポスドク、PhDの学生さん、テクニシャン含め、15人程が所属しており、Alopecia areataのプロジェクトの他、hair follicle stem cell, 先天性表皮水疱症をはじめとする遺伝性疾患のプロジェクトが進んでいます。私はその中のiPSプロジェクトに携わっており、先天性表皮水疱症の患者さんから作ったiPSを作って育てつつ、臨床応用が可能な領域を目指しております。この領域は競争が激しいということで、毎日前に進むべくがんばっていますが、なにぶんES細胞やiPS細胞は初めて扱うので、とまどうこともしばしばです。しかし、患者さんから作ったiPS細胞ですので、大切に使わせていただいて、少しでも早く何かを結果として還元できればと自分を励ましています。 こちらに来てから家が火事にあったりして、困惑することなどもありましたが、コロンビア大学におられる日本人の先生方に支えられて、何の問題もなく過ごせております。日本人っていいなあとしみじみ思う毎日です。何かとばたばたしてしまって、まだセントラルパークをゆっくり散歩したり、美術館めぐりなどはできていませんが、それでも最近は仕事帰りにニューヨークフィルのコンサートをちょっと聞いて帰ったり、ヨガに行って心身ともにスッキリして帰ったりと、これまでとは違った時間の過ごし方もできてきて、だんだん馴染んできたなと思います。アメリカは何でも自己責任の国なので、これからも毎日をしっかり自己管理していきたいと思います。ニューヨークに来られることがございましたら、是非ご連絡ください。
2012.5.28 Update
Los Angeles U.S.A 留学便り 清原
留学先:John Wayne Cancer Institute at Saint John’s Health Center
Eiji Kiyohara, MD, PhD
Department of Molecular Oncology
このたび大阪大学皮膚科教授片山先生のお許しを得まして、2012年1月下旬より米国カルフォルニア州サンタモニカにあるジョンウェイン研究所に留学している清原です。留学前は未来医療センターという臨床研究の推進機関に出向しつつ、病棟、学会、手術、専門医試験、卒業論文などを同時にこなさなければならなかったため先輩後輩含めて多くの諸先生方や秘書さん、実験助手さんに助けて頂きました。この場をお借りして御礼申し上げます。
ラボについてですが、すでに当研究所に留学されていた種村先生がコラムにて紹介している通り、メラノーマの臨床検体を使用し多くの論文を発表している所です。私以外にも4人の外科の先生(阪大、慶応、東大)が留学されており、昔から日本人フェローが多い所でもあります。ボスのDr. Hoonは非常に精力的な方で、議論についていけないことがまだありますが、研究所という場所でアメリカの競争社会を勝ち抜いた人であるという結果を見てみると日本人が学ぶ所は多くあると思います。どんな人かと聞かれるとDr. Hoonの様である、というとんちの様な答えしかできない個性の方で、Anywayという言葉の後にはhard workが待っています。現在取り組んでいるテーマを簡単に書けたらと思いましたが、さすがDr. Hoonです。直前に実験内容のことはもらさない規則があるぞ、というメールが全員に送られてきました、どこで気づいたのでしょうか。最近では血中に漏れ出た癌細胞(CTC)に関する論文をいくつか出しており、私もそれを引き継ぎながらどう発展させていくかを考えている所です。最近はgeneticな分野に力を入れており、皮膚科では見ることのない機械も多くあります。英語はまずます修行が必要で、新しい機械の習得をメインで任されて英語で3日間トレーニングを受けた際には、日本人フォロー曰く鬼の形相だったとのこと。国際電話を使った複数人同時のdiscussionという日本ではまず経験しない事も2回行いましたが、恐らく般若か阿修羅の様であったことが推測されます。喰らいついていくしかありません。
LA生活についてですが、3月末にようやく4ヵ月の赤ん坊と一緒に家族が来てくれました。生後一ケ月で留学したため、ほとんど抱っこもしておらず、家族の時間は日本よりもとってあげたいと思います。カルフォルニアは暖かく、半袖のイメージがありますが思ったよりも朝夕は冷え込み、まだ温かいというイメージはありません。それでもはるかに日本よりも過ごしやすいです。また、サンタモニカの海辺にはお金持ちが多いので豪邸、別荘めぐりが我が家のストレス解消法になっております。あっ、そろそろDr. Hoonの見回りの時間です。最後になりますが、日本では経験できないことをいろいろ経験し(もちろん研究ですが)、吸収したものを皮膚科にどうしたら還元できるかを考えながらやっていきたいと思います。後輩の先生方も是非研究しに大学院、留学を。
写真1
今いる部屋のメンバーです。真中がアルゼンチンから来たDiego Marzese君で、非常に優秀で遺伝子の解析を得意としています。右が外科医のKelly Huynhさんです。一児の母でありながら研究を頑張っており、月に一人選ばれる優秀者にも選ばれました。来月には臨床に戻る予定です。この部屋にいるとやる気になれます。
写真2
平日に併設のSaint John’s病院で感謝祭のようなイベントが行われていました。右の方が阪大消化器外科から来られている星野先生です。アメリカらしくロックmusicを大音量でガンガンかけていましたが、患者さんへの騒音を考えると日本ではありえません
2012.5.14 Update
San Diego U.S.A 留学便り2報 中川
留学先:
Yukinobu Nakagawa M.D., Ph.D.
Division of Dermatology
University of California, San Diego
2012年10月29日 第2報
今年の4月にアメリカに到着してから、早いもので7か月が過ぎようとしています。言葉や文化など初めての経験も多く、毎日があっという間に過ぎてしまいます。また、サンディエゴは日本に比べ気候の変化が少ないこともあり、気づいたらもう半年以上もたっているのかというのが実感です。今年のサンディエゴは例年に比べて暑いようで、気温も30度を超える日が多かったです。ただ、日本のようにじめじめとせず、湿度が低いために夏の間も肌が乾燥してしまいます。つい数週間前より、朝晩の気温が冷え込み始め、最高気温も20度くらいになり、ようやく秋めいてくるのかなと思っていたのですが、最近は再び30度くらいまで気温が上昇しています。紫外線も非常に強く、日本にいたときは日焼け止めとはほとんど無縁でしたが、サンディエゴに来てかかさず日焼け止めをつけています。また、サングラスは必須アイテムで、スキンヘッドに髭にサングラスと少しいかつい感じになってしまっています。
サンディエゴの街は、非常にのんびりとしています。特にUCSDの周辺は、少し物価が高いこともあり、治安も比較的よく、夜中でも普通に歩いている人を見かけます。大都市と比較し道幅も広く運転もしやすく、日系のスーパーマーケットも車で10分ほどのところに3件もあり、非常に生活がしやすいです。また、サンディエゴと言うと、トップガンを思い浮かべる人も多いと思うのですが、海兵隊の街でもあり、毎日、航空機が飛んでいる音を耳にします。自宅から車で10分ほどの所にMiramar基地をいう、トップガンのモデルとなった海兵航空隊の基地があります。つい先日、毎年恒例となっているMiramar Air Showが開催され、家内と一緒に見学してきました。ショーの内容としては、機体の展示があり中に入って写真撮影等ができたり、実際の戦闘機のデモ飛行を見学したり、また、アクロバットチームによるショーを見学したりと非常に非日常的で、刺激的でした。特に、ショーのメインであったBlue Angelsによるアクロバット飛行は素晴らしかったです。機体は、ブルー地にゴールドイエローの塗装が映えており(写真1)、たくさんの人々が30度を超す炎天下の中、カメラを片手にショーに夢中になっていました(写真2)。これらの機体が、隊形を乱すことなく青空を飛行する姿は非常に圧巻で、歓声も一際でした(写真3)。改めて、日本とアメリカとの文化の違い、また、スケールの違いを実感した貴重な体験でした。
留学先での研究も非常に充実しており、日々いろいろなことを学ばせていただいています。私は、大学院時代、免疫学の教室(熊ノ郷淳教授)で研究させていただいており、皮膚にちなんだ研究をするのは今回が初めてに近いです。留学当初は、全く異なる環境の中、今までほとんど手を付けたことのない皮膚の研究ができるのかどうか不安でした。ただ、皮膚科医としてはやはり皮膚につながる研究がしたいと思い、今回、UCSDの皮膚科のGallo教授の教室に留学をさせていただきました。Gallo教授をはじめ、教室の仲間たちも非常にいい人ばかりで、留学当初に抱いていた心配も問題なく、楽しく研究生活を送らせていただいています。研究内容の詳細は記載することができませんが、当研究室の主なテーマの一つであるcathelicidinの皮膚での働きを研究しています。いい研究成果が出るかどうかはまだ分かりませんが、研究生活を満喫しようと思っています。
2012年5月6日 第1報
2012年の4月より、University of California, San Diego (UCSD)のdermatologyに留学をしています。まだ、留学して1か月なので、アパートや身の回りの調整がやっと終わったところで、実験はまだこれからの状況です。当教室は、抗菌ペプチドであるcathelicidin (LL-37)の機能解析を精力的に行っています。Cathelicidinは抗菌ペプチドとしての作用がよく知られていますが、他に免疫調節作用があることも分かっています。これから本格的に実験の開始となりますが、主に、cathelicidinの免疫調整作用の研究を行っていく予定です。
UCSDは、San Diegoの中でも、La Jollaと言われる地域にあります。La Jollaは、San Diegoの中心部より車で20-30分ほど北に移動したところにあり、静かで治安もよく非常に生活しやすい地域です。La Jollaは、ラ・ホヤと読み、スペイン語の宝石という言葉が起源になったといわれています。本当にきれいな街並みとなっており、海岸では野生のアザラシを見ることができることもあり(写真)、たくさんの人々が集まります。
日本との文化の違いや英語に戸惑う日々が続いていますが、このような素晴らしい環境の中で楽しく新生活を始めています。ラボには、教授を含め20人近いメンバーが在籍し、ヨーロッパやアジアからの留学生もたくさんいます。このようにいろいろな文化の人々に囲まれて仕事をするのはすごく刺激的です。
また、近くに観光地も多くあるとのことなので、研究のみならず、留学生活も楽しみたいと思っています。
2012.5.6 Update